2009年12月7日月曜日

cohenhagen

今さっき、コペンハーゲンとビデオが繋がった。
雰囲気だけでも味わえたことに感動。

実質がまだ全然ない活動なのに、本当に大きな活動になってるな。
卒業するまで後少し。ちょっとでも発展の礎を築いて、この活動を飛躍させよう。

世界のリーダー達を相手に物怖じせず、あの場を楽しんでる後輩達に憧れと嫉妬を同時に持ってしまう。
俺が行っても大して何も出来なかっただろうし。


色んな人の扉を開いて行こう!!
まだまだあと4ヶ月もあるんだし。

ということで、またまた10分後にコペンハーゲンと繋がる模様。

2009年7月10日金曜日

報告書から その1



最近サミット関係で報告書を書いている。
その中から、部分的に順番に紹介していきたい。
ブログ用に書いた文章でも何でもないから、読みにくいことはなはだしいかもしれないが、そこは我慢を。
まずは同志社エコプロジェクトに提出した簡易報告書から。

【以下引用】

2009年6月25日〜28日までの4日間、カナダのヴィクトリア大学開催された
『世界学生環境サミットin Victoria』 へ参加
同志社大学代表として、 今井絢・森岡杏 2名
ISEN本部代表として、 伊藤友里加・清水香衣・松田 雄高 3名 が出席

同志社代表の二名は、サミットの期間中他大学の代表達と環境に関する議論を行った。同時にISEN本部代表として参加した三名は、サミット後にサミットに関する報告書を出すことを目的に、世界中の大学からの代表者達にインタビューを行ったり、サミットin Victoriaの実行委員に運営に関する事項を聞いたり、次年度開催予定校のチュービンゲン大学(ドイツ)との意見交換等を行った。

決定事項:
ISENの運営に関して
・ 同志社大学、ヴィクトリア大学、チュービンゲン大学の代表が運営委員会を組織し、当面のISENの舵取りを行う。


次回サミット開催に関して
・ チュービンゲン大学(ドイツ)が第三回の世界学生環境サミットを開催することに決定

学生意見書に関して
・ サミット要旨集が最終日にまとまる。意見書に関しては、サミット終了から9月までの間にオンラインディスカッションを通して完成させる。
・ 要旨集は各参加大学の学長宛に提出される
・ 学生意見書の議論はISENのオンラインシステム上で行われる

Wiki-earthに関して
Wiki-earthというシステムが紹介され、今後世界中の研究者が研究の成果を公開出来る場所として発展させていくことが決定した。現時点では、今回のサミット参加者の普段の食生活がどれだけ地球に負荷をかけているか?(カーボンフットプリント)ということがデータ化され、オンラインに公開されている状態。
参考URL http://www.wikiearth.net/

議論の概要:
3日間に渡り、様々な分野から環境に関する議論が展開された。
各日程に大きなテーマ設定があり、一日の始めにそのテーマに沿った講師の基調講演があった。その大きなテーマの下に、昨年のサミットで提案された3Cの原則に分かれた議論が展開された。
25日…『エネルギー』 講演内容例)「エネルギーと気候変動」
26日…『大学の持続可能性』 講演内容)「ハーバード大学の取り組み事例研究」
28日…『気候変動に対する地球的対応』 講演内容)「地域における取り組み」

ディスカッションは、オープンスペーステクノロジー※と呼ばれる手法を採用しており、
討論をして何かに全員で合意をしていくというのではなく、参加者のアイデアや経験を共有し、対話を創造していくことに重点が置かれていた。
※参考http://www.humanvalue.co.jp/report/positiveapproach/03.html

以上

この他にも感想等の項目もあるので、また次の機会に。
そして他の報告書もあるので、それらも載せて行きます。
その辺が一段落したら、少しづつ自分の想いなんかも整理していければ…と思ってます。

ちなみに写真は、議論風景と、議事録係が持ってた議論の要旨を書き留めるテンプレート。いたるところに、サミットのロゴが使われてました。今回は、デザイン料払って、ウェブとかロゴとか作ってんなぁ〜。

2009年6月28日日曜日

昨日の夜に書いた日記です。

昨日書いたから、今日は違うことを思ってるかもw
そして、ドラマチックに書きたかった俺の気持ちを受け取ってください!!!!

もちろんこれは第一弾。

↓☆☆↓
昨年、私たちは少々の興奮と、多大な失意の中でサミットの終わりを迎えた。
世界学生環境サミットin京都という、この世界で初めての取り組みが、私たちにとって何であったか?それを全て整理出来ずに、自分たちが出来なかったことにばかり目を向けるスタッフの姿がそこにはあった。

実際全てのスタッフがそのように感じていたかどうかは定かではない。もしかすると、実行委員の中の数人・数十人は非常に意義のある取り組みであったと胸を張っていたかもしれない。少なくとも私は、自分のちっぽけな自信を打ち砕かれ、失意に沈んでいた。
自らの英語の出来なさ。自らの組織運営の稚拙さ。自らの無責任さ。自らの思いの至らなさ。
全てが自分自身にとって今までの経験を超える、今までの経験では計り知れない衝撃であった。

私たちスタッフは、世界中から集まる学生を満足させることが出来ただろうか?彼らにとって意味のあるサミットが出来たのだろうか?そんなことばかりを心配していた。

サミットが終わってからのこの一年間で、私は誰一人として、本当の意味で、心からサミットの意義を深く胸に刻んでいた人はいないのではないだろうか。
そして私は、サミットのメンバーに会う度に少しの不安と懐かしさを常に胸に抱いていた。自分が彼らに出来たこと、出来なかったことを考える毎日で、逃げ出したくなることも一度や二度ではなかった。

自 分が足りない部分を、自分が至らない能力を補ってくれる人が数えられない程存在して、(こんな風に考えていることが既にものすごく傲慢なことは理解してい るが許して欲しい)彼らの御陰で何とか3日間という、本来は短いはずの自分にとっては永遠にも感じられるイベントが無事に終わったのである。

思い出話をしたかったわけではない。
私は今カナダはヴィクトリアにいる。ヴィクトリア大学の学生寮で自分専用の部屋を与えられ、全てが暖かい歓迎で満たされた土地にいる。

心から声を大にして叫びたいことが胸にみなぎっている。

「京都サミットを成功に導いてくれた皆様!!
僕たちがどんな風にあのサミットを評価していようとも、
僕たちがどんなにあのサミットのことで苦しめられようとも、
今このヴィクトリアサミットにいる全ての学生が、僕たちが成し遂げたことを心からの感謝を持って、評価してくれています。」

私たちはどんな形であれ、このサミットの土台を作り上げたのである。今はまだ小さな波を引き起こしたに過ぎない。しかしながら、その波はここヴィクトリアで少しずつ、少しずつ大きな波に進化しようとしている。
私は参加しているほとんど全ての学生に、私たちがやったことのすごさ、意義を指摘される。
心の底から感謝される。

私はず~っと、ず~っと、自分たちが起こす小さな、本当に小さな、胎児の心音のような衝撃を世界に示すことが出来れば、物事が非常に時間がかかろうとも変化して行く!という確信を持っていたし、それが6ヶ月もの間、私をサミットに引きつけた。
その小さな衝撃が、世界の学生に認められ、この衝撃はどんどんと大きくなっていく一方なのである。

上 手く文章に出来ないことが、煩わしくて仕方ないのだが、ここヴィクトリアに来て本当に良かった。出来ることなら、京都サミットを成功に導いた全ての学生に このサミットに参加して欲しかった。自分たちが大きな苦労をして産み落としたものが世界にとってどれほど意味のあることなのか。そしてそれが如何に評価を 得ているのか。

どうにか動くヴィジュアルを持って、私の同僚にこの感動を届けたい。しばし待たれよ。

今この瞬間、世界の学生達は思い思いのことをしている。パブで飲み明かすものもいれば、時差からくる疲れで自らの睡眠欲に抗えないものもいる。感動を胸に無心でキーボードを叩いている、私のような学生も恐らく存在しているであろう。

10時間以上ものフライトを経て、私たちが今目にしているものは、恐らく今後の世界にとって必要不可欠な取り組みなのである。
そ れだけにとどまらず、多くの先人達がなしとげてきたように、何世代にも渡る取り組みの加速期なのだ。スタートは昨年私たちが京都で切った。これからこの取 り組みは、様々な危機・問題・課題に見舞われるであろう。そして言うまでもなく、それ以上の素晴らしい瞬間を数多く生み出すであろう。もしかすると、この 取り組みのせいで人生が変わってしまう学生が世界中で生まれるかもしれない。

そのような取り組みであることをこのたった2日間ではあるが、存分に感じることが出来ている。
ここにいれることの幸せ、驚き、偶然。全てに感謝しないではいられない。


2009年6月16日火曜日

行ってきます。

というわけで、

24日からカナダはヴィクトリアです。

う〜ん。
色んなことが整理出来てないけど、
今から頑張って整理します。

唯一の懸念事項は

英語。

うん、やっぱり不安だ。

行く前と行った後、報告します。

2009年6月5日金曜日

僕らはみんな生きている〜










生物と無生物のあいだ
福岡伸一

生物とは何か?
筆者はまず生物とは自己複製を繰り返すものであるという、生物学で一般的に与えられている定義を生物に対して与えるところからこの物語を始める。

最終的に筆者が行き着く生物の定義はしかしながら、始めのものとはかなり異なる。というのも、筆者は自分自身の実験経験、それはマウスを使った膵臓の中で消化酵素を創り出す細胞に関わるものであるのだが、を通して生物の一回性というものに行き着くからである。

生物とは不可逆な時間の流れの中に自己複製を行うものであるというのが筆者の主張である。自己複製を繰り返すだけでは、生物の定義として十分ではないのである。

物語の最後で、筆者が生物と機械を比べる。
テレビの中のあるトランジスタをはずしてみたら、音声が聞こえなくなった。これは用意に想像出来る原因と結果の関係である。
生物(この物語の中ではマウス)の場合これと同じことが観察出来るだろうか?
つまり、生物の中にあるある特定の働きをすると考えられている細胞を遺伝子操作で完全に破壊してしまう。これをノックアウトという。そういえば一時期、ノックアウトメダカというのが紙面をにぎわせたことがあった気がする。
仮にその細胞が体の中から老廃物を吐き出すのに必要不可欠と考えられる細胞だったとしよう。であるならばこのノックアウトによって生まれたマウスは、理論上は老廃物を体外に排泄することが出来ずに、死に至るはずである。

しかしながら、実験ではそうならなかった。何故か?
筆者はその理由を、生物というものの定義へと導いて行く。
ノックアウトマウスの中で起こったことは、一回性の生物の時間の流れの中で、その失われた細胞の役割を代替する細胞が生成されたということだったのである。(間違ってないよね?)

本来なければならない細胞。しかし生物の神秘は、その細胞を不可逆な時間の中で埋め合わせてしまったのである。

長々と文章を書いて来たが、要するに生物とは単に自己複製を繰り返すという定義だけでは表現出来ない、複雑系であるということだ。自己複製に更に、時間の一回性というものが追加されて初めて生物が生物たる。

この本の細かいところは分からなかった。
細胞の話しとか、DNAのオハナシとか……
そんな世界に入ってしまった時にはちょっと……どころか大分頭が混乱してしまった。

だけど、読了した今、何故か厳かな気持ちになっている。
マウスを多用する生物学という学問分野に、「命を軽んじる!」というような単純な批判は出来ない。
こうした実験の繰り返しが、生命の神秘を一つずつ解明し、やがては多くの生命を救うことになるのだろう。
しかしながら同時に、命を複製可能なものであるとする間違った解釈に導く場合もあるのだろう。

話しが逸れてしまったけど、この本を読んで自分が生きてることの不思議を思わずにはいられなかった。
数々の軌跡(必然?)の結果として一人の人間がこの世の中に存在しているのだ。

なんか………死にたいとかって思ってる人にこの本読んでもらいたいかも。

雑感でした。

ってか今日思った。
改めて。
俺の周りすごい人ばっかりじゃん。
なんだこれ。
なんだこの幸せ。

2009年5月8日金曜日

地方分権

ゼミの発表が迫って来ている。
文献を読む努力はしているのだけれど、絶対的に時間が足りないな…

最近ではかなり自分の研究に疑問を持ち始めている。
だがしかし…自分自身の研究がどんなものであるか?をしっかりと見極めれもしない(今の勉強量では絶対に無理)状況で、早急に答えを出すことには疑問を感じる。
もしかすると諦めきれない俺の悪い癖?

政治学という学問をやっていると、往々にして規範論をかましたくなる。
「○○はかくあるべき!」という感じに。

でも俺がやってるのは…
「○○は△△です!」
「なぜなら、□□という現象が観察出来るからです!」
という自然科学を社会に応用した社会科学の方法論を用いるものだから。

俺の頭は元来、
「地方分権は自生的秩序を形成する制度的枠組みとして必要である」
「よって地方分権すべき!」
というような思考をたどる。

ただ自分の中で
「地方=?」という状況で…
どこまでを地方と言い、どのような権限がその”地方”に付与されているべきであるのか?というような事柄に関しては全く答えが出ていない。

ほら…また〜べき論が出てる。

今俺は、「特例条例」なるもの
(都道府県から市町村への権限委譲の一種の方法)
を糸口に地方分権の実態に迫ろうとしている。

問題は、「特例条例」なるものが一体全体何であるのか?
というところが、なかなかはっきりしてこないということ。

これは問題である。

糸口にしたいと思っている事象が理解出来ない。
これは単純に知識不足なんだけど…
「特例条例」なるものがあまりにもテクニカルな話しすぎることも影響してるんだけど。

話しが逸れたけど…
つまり、今の自分は社会はこうあるべきではないか?
ということを思索する勉強をしているわけではなく、
社会は実際今どうなっていて、
その状況を創り出しているのはどんな要因によるのか?
ということを探っているわけである。

もちろん実社会には必要不可欠であり、考える意味の十二分にある事柄である。
でも、あまりにもテクニカルな議論に拘泥してしまい、
自分が将来的に実現したい、「地方を元気に」した先にある社会像を描くことに、今の勉強がどう影響するのか?が最近自分の中で整理出来なくなってきてしまっていることが問題なのだ。

それは本当に最近強く感じ始めている。
いくら数量的なデータを集めてみたところで、
いくら新聞の切り抜きを集めてみたところで、
自分の実現したいことに近づいている!という実感なしには、
勉強という営みは俺にはしんどいものだ。

かといって…何を勉強すれば将来につながるか…
わかんない!

ってことで、とりあえず今は、今やってることをしっかり人に説明出来る程度には勉強してやろう。
そっから見えてくる世界が絶対にあるはずだ。

待ってろよ!地方分権!

2009年4月21日火曜日

ついつい…

図書館で笑顔になっちゃいました。

いえ、違います。
変態ではありません。

http://kakula.jp/homeSalon/


…と思ったら、さすがFじたん。
もうすでに紹介してたんだ☆

最近は就活も落ち着いて、少し勉強モード。
今日のゼミでは、発表をしたゼミ生が指導教官から集中砲火を浴びていた…

俺の発表は1ヶ月後。
さぁ気合いを入れて、勉強勉強。

地方分権に新しい地平を!!

2009年4月10日金曜日

言葉たち

最近、色んなところで色んなことばに出会う。
多分俺にとって、今後の人生で非常に大事になるであろう言葉たち。

やっとそんな言葉たちを自分の体験と比較して考えられるようになってきた。

少し最近の言葉たちを紹介しよう。

S先輩
・ヴィジョン、ミッションがない状態でものごとを始めることは出来るだろう。でもその状態でやったこと(サミット)が引き起こしたものはしっかりと見つめ直せ。それは、+の面だけではなく、マイナスの面も。

Nくん
・やりたいことをやればいいんだって。
・お金じゃないと思う。
・今の俺には実力がない。
・主体性が出て来たってことやね。

Hさん
・時間は戻らない、前にしか進まない。
・簡単な言葉で物事を説明出来ない人は、本当にそれを理解はしていない。
・考える癖をつけなさい。
・異邦人の感覚を持ち続けよう。

Mさん
・水風呂に入ると体がぽかぽかしてくるやろ!

親父
・観念論の世界では生きられない。
・子どもの多様性をそのまま活かせる、伸ばせる教育であるべき

W先輩
・俺に返さなくていいから、俺がやってあげたこと、やってあげてることを後輩にやってあげて。
・受かる気しかせーへんな!
・ものごとを一つの視点から見てみると面白い。俺の場合は、「値段」っていう側面かな…

N社長(ある人材ヴェンチャー)
・理想論だけだと、現実の壁に押しつぶされるよ!
・もしかしたら、松田くんが日本にとって本当にかけがえのない存在になるのかもしれないね。でも今のままでは無理だよ。

Sママ
・自分の子どもには生きる術を身につけて欲しい。

T種苗/面接官
・君は僕の一歩先を行ってるね。
・良い営業マンになるよ。

それぞれに色んな背景があって、それぞれに色んな意味のある言葉だと思う。
それだけに俺にとっては、これからも非常に大事な言葉の一つ一つ。

あなたにとってそんな、「大切なことば」ってありますか?

2009年4月6日月曜日

弱さ

4月に入って…
なにくそと思う程忙し…
くなるとは思ってなかったけど、予想通り。

でも、今までの自分は「就活」に対して本気ではなかった。
今の自分は自分の出来る範囲でかなり本気だ。
4月に入ってからスイッチが入る…
遅すぎるかもしれない。でも自分のスイッチを切ってしまっていたあの日から、そのスイッチに再度エネルギーが貯まるまでこれだけの年月を要したのだ。

自分から逃げていた日々は、そう悪くはなかった。
だって楽だから。何からも追われていないし、何からも責められることはない。思う様に自分のやりたいこと(少なくともやりたいと思い込んでいること)をやっていればいいだけだから。

まぁ世の中で仕事をして、何かしら実現したいと思うこと。
その想いだけはずっと持ち続けていた。夢は語り続けて来た。
でもそれを行動にするエネルギーはどれだけ頑張ってみても、ガス欠だった。ぷすぷすと音を立てるだけだった。

だって自分に自信がないから。
だって自分を偽ってるから。
だって自分が信じてないことを信じてるから。

夢は変わらない。それを実現する手段も変わらない。
でもその道のりは劇的に変えて行かないと、若さに甘えた再出発さえ、そのチャンスが巡ってきそうにない。

自分にとって夢を実現するための手段とは…
今までは、何かしらどうにかすれば乗り越えられるもの。
でも今は違う。
何が何でも乗り越えるもの。
少し人より多く寝たって、その分残された時間で質を求めれば良い。
少し人に信念を批判されたって、信じ抜けば良い。
少し人より出来ないことがあたって、それこそを強みにして行けば良い。だって出来ないってことは、チームになる意味があるんだから。

完成された人間になんて一生なれないし、なりたくもない。
完成していないから、誰かに支えて欲しいし、誰かの優しさを求める。
俺のものごとへのこだわり方は、そうなのだ。

見る人が見れば甘え以外の何者でもないかもしれない。
でも、絶対に結果を残してみせる。結果って何か?
俺は定量化出来るものを求めるか?そんなことはない。
定量化出来なくたって、価値あるものはいくらでもこの世の中に存在する。

まだまだ整理して何かを語るって手法は俺には無理みたい。
とりあえず溢れてくる言葉を、そのまま綴る感じ。
読みにくいなぁ〜。そのうちもっと上手い文書書きます。
人に見られていることを前提として。

さて、明日は初めて3社の選考がかぶる。
結構気合い入れて行かんと余裕で落とされてしまうぞよ。
まだまだ中途半端な企業研究。そりゃそうだ、皆が頑張ってる時にOB訪問なんかもずに充電してたんだから。

2009年4月1日水曜日

さぁ…

そろそろ色々なことに白黒つけなければならない時が来たようだ。

就職も、とりあえず内定をもらうというような態度では、今後ますます厳しくなる。
『絶対内定』に触発されたと言うのは、個人的にはすごく悔しいのだけれど、実際そうであるからどうしようもない。

今まで自分は、自分の睡眠時間を削ってまで、企業研究をするということはなかった。
何故か?
多分入れると思ってた。そんなに就職は甘くないと口では分かっていながら、でもいつも通り、頭では割り切っていた。

だって今まで「どうにか」ならなかったことはないのだから。
でも思い返してみれば、サミットはどうにもならなかったはずだ。
他人の力を借りて、どうにかなった…そんなことを言える程俺自身としてはどうにもなっていないだろう。

Chantalからメールが来た。すぐに返した。
こんなにすてきなHPを作る彼女らに対して、自分が何もしないなんて選択肢はない。去年彼女らにどれだけ支えられたか…忘れられる範囲の助けられ方ではなかった。
考えられない程議論を丸投げして、途中からは向こうが提案してくれることを期待しながらの作業だった。
それに、国内の業務も一人の人間に完全に任せてしまった。自分たちは「就職活動」という錦の御旗を武器に、面倒な作業から逃げた。

俺は、今まで自分を責めて生きて来た気がする。
失敗したんじゃないか?責任を果たせなかったんじゃないか?努力しきれなかったんじゃないか?

でも、それで精神を病んだこともなければ、もちろん食べ物が喉を通らなくなったこともない。それだけ、最後の部分では逃げるすべを心得ている。
いつそんな処世術を身につけたのかはわからないけど、でも確実にそんな方法が身に付いていた。

さぁ…今が変わる時なんだろう。
さぁ…一歩踏み出そう。
さぁ…違う景色を見に行こう。
さぁ…
さぁ…

新しい季節が始まる。新しい出会いが始まる。
新しい自分になる気はないけど、今までの自分を認めるためにも、妥協のない生き方をしよう。

エイプリールフールにならないようにブログで決意表明。

ん〜
思い返したら、ブログでは自分のことしか書いてないな。
次のトピックは違う人のことを書こう。
うん決めた。

埴谷雄高のことでも書きたいけど、またそれは後で。

2009年3月28日土曜日

この時期

京都銭湯コレクション2009が終わった。

さぁ何が出来たのだろうか?
俺の役割は本当にあったのだろうか?

営業としての能力を期待され、営業で協賛を確保することが今回の至上命題であったはずだ。
それに関しては、ことごとく失敗した。
というか、今までの自分の人生にないくらいの失敗だった。

だって、協賛企業は俺の分担で0だったからだ。

自分が期待されていたことを全くこなせなかったことに、でも不思議ながら腹は立たなかった。
でも腹が立たない自分には腹が立った。

イベントが終わった反省会で、会計処理が一通り済み、一人あたりの負担額が明示された時、
リーダーが俺たちに問いかけた一言
「ほんとにこれでいいの?」

この言葉の中には、どれだけの意味がこめられていたんだろうか?
決して批判とかではない。決して誰かを責めている訳でもない。でも、予算というものに対しての個人個人の意識の低さを彼は嘆いていたのではないかと、俺はそう感じた。
楽しかったし、今までにない発想で多くの人の関心は得たと思う。
そんな企画に関われたことは本当に光栄だし、その中で自分が出来たこともあったと思う。

しかし、最後にやっぱり少し後悔が残るわけである。
それは、自分が何故そこにいたのか?何を期待されていたのか?ということをしっかりと自分の中で消化して、その役割を担えなかったことに対しての後悔だった。

世界学生環境サミットin京都という企画に対する後悔とはまた全く質の違う後悔である。サミットでの後悔は、自分の能力の未熟さに対するものとそれを克服出来なかった、当時の自分のキャパシティーのなさに対する後悔であったように思う。そこでは、俺は期待された役割を担おうという意識はなく、自分のやりたいことを如何に実現しようか?という視点しかなかった。

しかし今回は、何かを期待されて団体に参加したわけである。何かを期待される=自分には何かが出来るということである。それを残せなかった。

でもサミットから学んだことがある。
後悔だけは何も生み出さないということ。責任感を感じることは必要だし、ある程度であれば自分を批判することも、否定することも必要だと思う。でも、後悔するなら、次何かしてみろ!と考えること。次ならその後悔をしないために自分はどんな工夫が出来るかと考えることが必要。

今回のことで見えて来た自分の能力を整理してみよう。徒然なるままに。

人当たりの良さ…誰とでも笑顔で話し、良い印象を与えることが出来る
事前リサーチの不足…相手の情報を考慮するという視点に欠ける
言葉使い…的を得る発言をすることはあるが、言い方にとげがありすぎる
文才…中途半端 ないとは言い切れないが、頭の中に浮かぶ素晴らしい文章を実際に書いてみると思い通りに書けない
自分の役割認識…リーダー/メンバーに対してどう接するかを考えることが出来た
冷静さ…イベント当日は落ち着いているつもりが、周りを不安にさせていた
周りを信頼すること…まだまだサミットの教訓は活かせていない。情報を溜め込むくせあり

とりあえず今日のところはこんな感じ。

本当は就活に関して、というより自己分析に関して書こうと思ったのに…
やっぱり一つの話題をしっかりと見据えて、そこからぶれないように文章を書くのは少し苦手。

2009年3月26日木曜日

第一希望

さて、今日は自分の夢について書いてみようと思う。

俺は、「日本の田舎を元気に!」したい。
それは、今の世の中が、次に来るべき世界のいめーじを見失っているからである。

つまり、資本主義という一つの社会システムが限界を迎えたということ。それにとって変わる次なる社会システムが今のところ存在しないということ。

では、次の世界はどこに向かって”進化”すれば良いのだろうか?
俺が思うに、答えはパトリオットである。
日本語に訳すとするなら、郷土愛…なのかな?
顔の見える人たちとの人間的繋がりである。
うむ、そうである。

例えば、地産地消なんてその最たるもの。
俺は地産地消を農産物だけだとは思っていない。
工業製品でも、もしかしたら、ハイテク製品でも可能なのかもしれない。
グローバル化という現象を否定するつもりもないし、アンチグローバル化でもない。でも、世界中で必要とされないものが巡り巡る世界よりも、必要なものが必要とする人々に、身近で巡る世界を創り上げたい。
誰々さんが作った○○。
そんな感じの、顔の見える関係で繋がった人々が住む空間が創り出せたなら、そしたら、生活の質を追及することが幸せと認識される価値観が広がっていくんじゃないだろうか。

まだまだ上手く説明出来ないし、理論の破綻もありあり。
悔しい。
悔しい。

でも、これが俺が大学に入り、いやいやその前から色々経験してきて行き着いたかすかな光。
身近な世界が幸せであることを実感することなしに世界平和を語るなんて、言語道断だし、出来ない。

土を耕し、作物を得る喜びみたいなものを実体験でなくとも理解出来る。そんな世の中を俺は実現したい。

駄目だ。
支離滅裂。
また書き直そう。

商社のESでこんな感じのことを書こうと思うが…
いかんせんまとまらない。

さぁ格闘だ。

地域活性化センターなんてもんがあるそうだ
こちら

2009年3月22日日曜日

京都銭湯コレクション2009

昨日は、
【銭湯で風呂上がりの一杯を】

という京都銭湯コレクション2009の試飲会本番だった。
というか今日も本番だ。

つまり、自分の担当する銭湯が本番だったということ。
今でもメッセージ写真の展示はしている。
なので、キャンペーン自体はずっと続いているわけだ。

本当に色んな人がいる。
でも色んな人と話しをしていて、やっぱり気付いたことがある。

寂しいのだ。
みんな誰か、気兼ねなく話せる人を探している。
話しを聞いてもらいたくて、話しをしたくて…

皆が忙しい。
皆が色んな情報の波に揺られて、何を信じて良いかわからんくなってる。

俺はそんな時、
年寄りの、
俺よりも感受性が豊かな人の、
俺よりも年下の、
俺よりももっと寂しい想いをしてる、

そんな人たちの話しを聞けば良いと思うのだ。

そしてそれはお酒が入らないと出来ないことであるならば、大いにそうすれば良いのだ。
お風呂に入って、衣服と一緒に恥ずかしさも脱ぎさってしまえば良いのだ。
と思う。

最近は、お風呂に入るという行為がすごくプライベートなものとして扱われている。
これはどこの文化だろうか。
西欧の文化だろうか?
でも日本も昔は一人で入っていたように思うし、
ヨーロッパにも公衆浴場はある。
実際俺もハンガリーでは公衆温泉に入って来た。

う〜む。
はて、お風呂のprivatizationとは難しい問題だ。
もし、お風呂が戦前/戦後の日本のようにパブリックな場所になれば、もっと皆自分の殻を破る方法を小さい頃に学ぶ機会が出来るんじゃないかな。

そしたら社会に蔓延する「寂しさ」も少しは和らぐんじゃないかな…

そんなことを考えた、昨日の試飲会だだった。

さて今日は、サミット大同窓会。
http://st-summit.doshisha.ac.jp/kyoto/
皆に何を伝えようか。
何をプレゼントしようか。

楽しみである。

ちなみに風呂の文化
http://iroha-japan.net/iroha/B06_custom/10_furo.html
一応wikiも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B9%AF

2009年3月9日月曜日

明日はGD

明日はGDである。
今日はDTであった。

まだまだ自分は子どもだと思う。
この前の面接では、会社側の考えなど無視して自分の理想を思う存分語ってしまった。

俺はそれで良いと思っている。
内定をもらうことが目的でないなら。
ことをなすことが人生の目的であれば。

でもことをなすことすら叶わないのではないかと思う。
自分の弱さから目をそらすことを覚えすぎた。
自分の弱さに言い訳をするずる賢さを身につけすぎた。

明日にも提出しなければいけないものが山のようにある。
明日までに頭に入れておかなければならない知識が山のようにある。

でも”やらなければいけないこと”にはもううんざりだ。
寝てしまったらそれでも良い。
体が動かなければそれでも良い。
遅れたのならそれでも良い。

何が重要かぐらいは自分で決めれる。
そんな生き方をしたい。

旨いフレンチを食ったときの幸せ。
俺はそのために生きる道を選んでも良いのかもしれない。

2009年1月19日月曜日

幻のボタン鍋

全然ブログ更新とか出来ない。
でもやってみる価値はあるか…

今日はお世話になっているS先生宅でボタン鍋の予定。
しかし、人の良いS先生は、もらったイノシシ肉を自分が食べもしない内から色んな人に配ったらしい。
その結果。

残っていたのはイノシシのスペアリブだけ。
肋骨とその周りに少しついた肉だけ。

当然ボタン鍋など夢のまた夢。

絶対近い将来食ってやる。

幻のボタン鍋ならぬ、S先生特製寄せ鍋を二人の先生、二人の仲間と食した後は、今の時期欠かせない就活の話し。

就活は騙し合い
就活は欺瞞
就活は………

色んな「就活は…」がある。
今の就活のおかしさ、滑稽さを皆で指摘し合いながら、酒を酌み交わす。もちろん下戸の私は、お猪口一杯の日本酒でいい気分だが。

自分にとって就活とは何だろう。と考えたりもした。
自分がどれだけ出来るのかを試す場
自分がどれだけ他人と違う人間なのかを示す場
自分が…

でもどうでも良い。
私は、将来においてやりたいことがある。
そのことだけを胸に就活というものを乗り越えていけたら良いと思う。

正解のない世の中の政界で生き抜くために。
最近出会うおもしろい人たちのために。

このブログでは出来るだけ自分を出していけるように、出来るだけ壁を作らないように、つれづれなるままに自分の想いを綴ろう。