2009年5月8日金曜日

地方分権

ゼミの発表が迫って来ている。
文献を読む努力はしているのだけれど、絶対的に時間が足りないな…

最近ではかなり自分の研究に疑問を持ち始めている。
だがしかし…自分自身の研究がどんなものであるか?をしっかりと見極めれもしない(今の勉強量では絶対に無理)状況で、早急に答えを出すことには疑問を感じる。
もしかすると諦めきれない俺の悪い癖?

政治学という学問をやっていると、往々にして規範論をかましたくなる。
「○○はかくあるべき!」という感じに。

でも俺がやってるのは…
「○○は△△です!」
「なぜなら、□□という現象が観察出来るからです!」
という自然科学を社会に応用した社会科学の方法論を用いるものだから。

俺の頭は元来、
「地方分権は自生的秩序を形成する制度的枠組みとして必要である」
「よって地方分権すべき!」
というような思考をたどる。

ただ自分の中で
「地方=?」という状況で…
どこまでを地方と言い、どのような権限がその”地方”に付与されているべきであるのか?というような事柄に関しては全く答えが出ていない。

ほら…また〜べき論が出てる。

今俺は、「特例条例」なるもの
(都道府県から市町村への権限委譲の一種の方法)
を糸口に地方分権の実態に迫ろうとしている。

問題は、「特例条例」なるものが一体全体何であるのか?
というところが、なかなかはっきりしてこないということ。

これは問題である。

糸口にしたいと思っている事象が理解出来ない。
これは単純に知識不足なんだけど…
「特例条例」なるものがあまりにもテクニカルな話しすぎることも影響してるんだけど。

話しが逸れたけど…
つまり、今の自分は社会はこうあるべきではないか?
ということを思索する勉強をしているわけではなく、
社会は実際今どうなっていて、
その状況を創り出しているのはどんな要因によるのか?
ということを探っているわけである。

もちろん実社会には必要不可欠であり、考える意味の十二分にある事柄である。
でも、あまりにもテクニカルな議論に拘泥してしまい、
自分が将来的に実現したい、「地方を元気に」した先にある社会像を描くことに、今の勉強がどう影響するのか?が最近自分の中で整理出来なくなってきてしまっていることが問題なのだ。

それは本当に最近強く感じ始めている。
いくら数量的なデータを集めてみたところで、
いくら新聞の切り抜きを集めてみたところで、
自分の実現したいことに近づいている!という実感なしには、
勉強という営みは俺にはしんどいものだ。

かといって…何を勉強すれば将来につながるか…
わかんない!

ってことで、とりあえず今は、今やってることをしっかり人に説明出来る程度には勉強してやろう。
そっから見えてくる世界が絶対にあるはずだ。

待ってろよ!地方分権!

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