昨日は、
【銭湯で風呂上がりの一杯を】
という京都銭湯コレクション2009の試飲会本番だった。
というか今日も本番だ。
つまり、自分の担当する銭湯が本番だったということ。
今でもメッセージ写真の展示はしている。
なので、キャンペーン自体はずっと続いているわけだ。
本当に色んな人がいる。
でも色んな人と話しをしていて、やっぱり気付いたことがある。
寂しいのだ。
みんな誰か、気兼ねなく話せる人を探している。
話しを聞いてもらいたくて、話しをしたくて…
皆が忙しい。
皆が色んな情報の波に揺られて、何を信じて良いかわからんくなってる。
俺はそんな時、
年寄りの、
俺よりも感受性が豊かな人の、
俺よりも年下の、
俺よりももっと寂しい想いをしてる、
そんな人たちの話しを聞けば良いと思うのだ。
そしてそれはお酒が入らないと出来ないことであるならば、大いにそうすれば良いのだ。
お風呂に入って、衣服と一緒に恥ずかしさも脱ぎさってしまえば良いのだ。
と思う。
最近は、お風呂に入るという行為がすごくプライベートなものとして扱われている。
これはどこの文化だろうか。
西欧の文化だろうか?
でも日本も昔は一人で入っていたように思うし、
ヨーロッパにも公衆浴場はある。
実際俺もハンガリーでは公衆温泉に入って来た。
う〜む。
はて、お風呂のprivatizationとは難しい問題だ。
もし、お風呂が戦前/戦後の日本のようにパブリックな場所になれば、もっと皆自分の殻を破る方法を小さい頃に学ぶ機会が出来るんじゃないかな。
そしたら社会に蔓延する「寂しさ」も少しは和らぐんじゃないかな…
そんなことを考えた、昨日の試飲会だだった。
さて今日は、サミット大同窓会。
http://st-summit.doshisha.ac.jp/kyoto/
皆に何を伝えようか。
何をプレゼントしようか。
楽しみである。
ちなみに風呂の文化
http://iroha-japan.net/iroha/B06_custom/10_furo.html
一応wikiも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B9%AF
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