2009年6月5日金曜日

僕らはみんな生きている〜










生物と無生物のあいだ
福岡伸一

生物とは何か?
筆者はまず生物とは自己複製を繰り返すものであるという、生物学で一般的に与えられている定義を生物に対して与えるところからこの物語を始める。

最終的に筆者が行き着く生物の定義はしかしながら、始めのものとはかなり異なる。というのも、筆者は自分自身の実験経験、それはマウスを使った膵臓の中で消化酵素を創り出す細胞に関わるものであるのだが、を通して生物の一回性というものに行き着くからである。

生物とは不可逆な時間の流れの中に自己複製を行うものであるというのが筆者の主張である。自己複製を繰り返すだけでは、生物の定義として十分ではないのである。

物語の最後で、筆者が生物と機械を比べる。
テレビの中のあるトランジスタをはずしてみたら、音声が聞こえなくなった。これは用意に想像出来る原因と結果の関係である。
生物(この物語の中ではマウス)の場合これと同じことが観察出来るだろうか?
つまり、生物の中にあるある特定の働きをすると考えられている細胞を遺伝子操作で完全に破壊してしまう。これをノックアウトという。そういえば一時期、ノックアウトメダカというのが紙面をにぎわせたことがあった気がする。
仮にその細胞が体の中から老廃物を吐き出すのに必要不可欠と考えられる細胞だったとしよう。であるならばこのノックアウトによって生まれたマウスは、理論上は老廃物を体外に排泄することが出来ずに、死に至るはずである。

しかしながら、実験ではそうならなかった。何故か?
筆者はその理由を、生物というものの定義へと導いて行く。
ノックアウトマウスの中で起こったことは、一回性の生物の時間の流れの中で、その失われた細胞の役割を代替する細胞が生成されたということだったのである。(間違ってないよね?)

本来なければならない細胞。しかし生物の神秘は、その細胞を不可逆な時間の中で埋め合わせてしまったのである。

長々と文章を書いて来たが、要するに生物とは単に自己複製を繰り返すという定義だけでは表現出来ない、複雑系であるということだ。自己複製に更に、時間の一回性というものが追加されて初めて生物が生物たる。

この本の細かいところは分からなかった。
細胞の話しとか、DNAのオハナシとか……
そんな世界に入ってしまった時にはちょっと……どころか大分頭が混乱してしまった。

だけど、読了した今、何故か厳かな気持ちになっている。
マウスを多用する生物学という学問分野に、「命を軽んじる!」というような単純な批判は出来ない。
こうした実験の繰り返しが、生命の神秘を一つずつ解明し、やがては多くの生命を救うことになるのだろう。
しかしながら同時に、命を複製可能なものであるとする間違った解釈に導く場合もあるのだろう。

話しが逸れてしまったけど、この本を読んで自分が生きてることの不思議を思わずにはいられなかった。
数々の軌跡(必然?)の結果として一人の人間がこの世の中に存在しているのだ。

なんか………死にたいとかって思ってる人にこの本読んでもらいたいかも。

雑感でした。

ってか今日思った。
改めて。
俺の周りすごい人ばっかりじゃん。
なんだこれ。
なんだこの幸せ。

3 件のコメント:

  1. 筆者知り合いなん??

    僕は「動的平衡」ら辺が好きでした。
    彼の回りくどい言い方は苦手でした。
    内容自体はとても、すごく好きです。

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  2. いや全然知らない。

    動的平衡って即ち、自己創造というか、生物は足りない部分が出て来ても、自己完結させてしまうって話し。だと俺は理解したんだけど……
    合ってるのかな。

    早速ひろきのリスニング術をぱくったw
    ありがとうw

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  3. うちの会社と非常に関わりの深い方でもあります。

    といいつつ、私はまだこの本を読んでいませんが。

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